西暦(年号) | できごと |
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1921年(大正10年) | 東京で、父徳七、母二三子の長男として生まれる |
1942年(昭和17年) | 東京帝国大学第二工学部冶金学科入学 |
1944年(昭和19年) | 東京帝国大学第二工学部冶金学科卒業、同大学院入学 |
1945年(昭和20年) | 大東亜会館(現・東京会館)で百島恒子と結婚 |
1947年(昭和22年) | 東大切手研究会設立 |
1949年(昭和24年) |
東京大学大学院修了 東京大学第一工学部付属綜合試験所専任助教授 |
1950年(昭和25年) | 付属綜合試験所野球チーム監督 |
1952年(昭和27年) | 東大75年記念切手発行(良績博士の撮影した写真が原図となった) |
1956年(昭和31年) | 東大切手研究会顧問 |
1957年(昭和37年) | 原子力工学科野球チーム監督 |
1963年(昭和38年) | 東京大学工学部教授(核燃料工学、基礎工学) |
1964年(昭和39年) | 日本金属学会功績賞受賞 |
1971年(昭和46年) | 日本原子力学会賞受賞 |
1975年(昭和50年) | 東大野球部長(〜昭和57年) |
1977年(昭和52年) | 原子力工学科野球チーム総監督 |
1981年(昭和56年) | 第1回原子力学会賞受賞 |
1982年(昭和57年) | 後楽園球場で、還暦記念の野球大会が研究室一同により開かれる |
1984年(昭和59年) | 東京大学退官後、東京大学名誉教授となる |
1985年(昭和60年) | 東京大学退官後、東京大学名誉教授となる |
1986年(昭和61年) | 郵政事業功労により、前島賞受賞 |
1988年(昭和63年) |
属学への貢献により、村上記念賞受賞 高融点金属研究と工業標準化への功績により、米ASTM功績賞受賞 ジルコニウムへの貢献により、クロール国際賞受賞(受賞決定は昭和61年) 日本原子力学会会長(〜平成2年) 日本学術会議会員(〜平成3年) フランス金属学会名誉会員 |
1990年(平成2年) |
第17回日米大学野球日本チーム団長を務めた功績により、日本スポーツ賞受賞 原子力平和利用研究への貢献により、米国原子力学会(ANS)シーボルグ賞受賞 |
1991年(平成3年) |
中華民国技能学会賞牌“技能師儒”を受ける 米国ASTMシンポジウムアオード・メダルを受ける 米国原子力学会(ANS)に「三島賞」設立 神宮球場で、古稀記念の草野球大会が開かれる 原子力関係の猫好き17人で「猫の会」発足 |
1993年(平成4年) | 草野球180勝達成 |
1994年(平成6年) | 食道がん手術を受ける |
1995年(平成7年) | 国際原子力学会協議会(INSC)会長(〜平成8年12月) |
1996年(平成8年) | 勲三等旭日中綬章受章 |
1997年(平成9年) | 1月12日 死去。75歳 |